小笠原道大について話す。

今回は、日本ハム、巨人、中日の三球団に選手として在籍し(記憶が正しければ中日では兼任コーチも務めていた)、現在日本ハムでヘッドコーチを務めている小笠原道大についてだらだら話そうと思う。

 

彼の特徴は何といってもその奇抜なバッティングフォーム。神主打法のようにバットを前傾させ、体重の大部分を下半身に乗せることで、踏み込み足である右足の膝が地面スレスレになっていたというのが個人的なイメージ。いわゆるバット投げも豪快そのもので、「侍」、「ガッツ」と二つ名がつけられていたように、渋みを感じさせるたたずまいに、野球に対し謙虚に取り組む姿勢は、多くのおじさんファンを虜にした。(事実、僕の父親も彼のファンだった)

 

一方で、インターネット上における彼に対しての扱いは目を疑うものがある。日本ハムから巨人に移籍した際の一連の彼の行動に対しては、当時どうも批判が殺到したらしく、「ガッツ」をもじり「カッス」と呼ばれる羽目に。それに関連して、「カッスレ」と呼ばれる、「カッス」(どうも、「読売巨人軍小笠原道大」と「カッス」は別人らしく、勝手に同一人物扱いしてしまうのも気が引けるが。)を「畜生キャラ」としてニュース風に彼の奇行(もちろん創作)を紹介するというスレッドの形態が人気を博している。内容は不謹慎を地で行くものが多いが、中には文才を感じさせるものも多く、実は忙しい作家がストレス発散でいろいろ書いているんじゃないか、と時々疑心暗鬼になる。

 

さて彼の思い出について語ろうと思う。自分が彼をはっきり認識したのは2010年。この年の彼の成績は .308 34HR 94RBI OPS.953と圧巻の成績である。実はレギュラー級として活躍したのはこの年が最後で、これ以降は主に代打としての起用が中心となってくる。

個人的に印象深いのが2011年。加齢や、この年から導入された統一球の影響をもろに受け、大きく成績を落としてしまう(.242 5HR 20RBI OPS.653)。この年は、彼の2000本安打達成がかかった年で、シーズン開始前から「球団を挙げて彼の記録達成を祝おう!」という空気を出していた。ところがどっこいふたを開けてみると開幕から低空飛行が続き、4月中に達成することができず。苦肉の策(?)で原監督はゴールデンウィーク中の数試合で彼を1番打者として起用(!)。これには面喰った記憶が鮮明に残っている。当時小学校中学年とかそこらではあったが、事の重大さは子供ながらに察した。結局阪神小林宏投手からセンター前に通算2000本目のヒットを放つことで無事に記録は達成。彼の次なる輝きは、「さあ大谷だ!」まで持ち越されることとなるのである。(笑)

この年ジャイアンツは3位に終わるのだが、残念ながらその要因として、主にファーストとして300打席以上与えられながら、期待された結果を残せなかった彼の存在は筆頭格で挙げられてしまうだろう。それ以上にいろいろな要因はあったが…(けが人の続出、外国人が軒並みショーもない、若手の不振など)。特に外国人はかなり記憶している。ラスティ・ライアルという、ジャイアンツにしては珍しく開幕前から応援歌を授かった選手であったが(2011年度版応援歌CDにも収録されていた…気がする。)、まったく持ち味を発揮できず、サードの定位置がぽっかり空いてしまうことに。正直、誰で埋めたかも記憶していないレベルだが、ライアルが結果を残せなかったことが、オフに村田修一を獲得する遠因となったのは実に興味深い話だ。

こんな感じでガッツの思い出をつらつら書いたが、なんだかんだ言って弱かったころの巨人って結構覚えてるもんだな、と感じた。(笑)由伸政権の3年間についてもいつか書いてみようかな。